感染症の影響を引きずる社会になってから早くも一年以上の月日が経っていますが、それぞれの心の内は、今どんな状態にあるでしょうか。

 

以前までの生活を思い返せば、未ださまざまなことに不自由さを感じたり、新たな常識に心や体が慣れていなかったりすることもあるかもしれません。
誰もが、自らの胸の内にある何かしらを乗り越えて「今の時代」に向き合いつつ、その中で誠実に生きることが求められているのだと思います。

 

続くコロナ禍においてまだまだ揺らぎやすい心を、私たちはいかにして整えながら、明るく生きていけるのか……。そのヒントが、神社参拝の中には隠されているような気がしてなりません。

 

——神社を愛するあまり巫女になり、神道の魅力を皆様にもお伝えしている巫女ライターが、神様という存在について、その向き合い方をそっと考えてみたいと思います。

目次

  • 「神様」とはどんな存在なの?
  • 神社で「参道」を歩く意味
  • 神社で見かける「鏡」の意味
  • 神社で神様に「祈る」意味
  • 参拝を通じて心を整える

 

「神様」とはどんな存在なの?

 

 

神社に出かけて、神様にお祈りをする――。

その目的や意味を考えようとすると、私たちはなんとなく「神様というのは、私たちがなにかお願い事をして、それを叶えてくれる存在なのではないか?」と思いたくなるかもしれません。

感染症が一日も早く終息して、安心できる暮らしが戻りますように。
自身や大切な人たちの、健康と幸福が守られますように。

昨今であれば、神社でこんな風にお願い事をしたという方も、決して少なくないでしょう。

 

どこか不安定な暮らしの中でも、神社という場所を通じて「神様」という存在を拠り所とすることや、人の力だけではどうにもならない物事と向き合うために「祈る」ことを、改めて意識するようになったという方もいらっしゃることと思います。

 

でも、神様は私たちの願い事を、なんでも思い通りに叶えてくださるとは限りませんよね。
これは神様に力が無いからでもなく、もちろん、私たちに対して意地悪をしているからでもありません。

 

 

私が巫女としてご奉仕をする中で考えるようになっていったのは、どんな世の中でもその時代を一生懸命に生き抜くことで得られる学びや気づきがあって、神様はそれに立ち向かい成長しようとする人を応援してくださっているのではないかということでした。

 

神社で目には見えない「神様」に向き合い、真剣にお祈りをしてみると、ふと心が静かになることがあります。
その瞬間に思い立ったことや、胸の中に生まれた感情を、そっと注意深く見つめてみてください。
今、あなたの前に立ちはだかっている困難と向き合うための、大きな力となる気づきが隠されているはずです。

 

神社で「参道」を歩く意味

 

 

神社の鳥居をくぐると、社殿までは「参道」が続いています。これはあまり意識されていない方も多いことと思いますが、一歩一歩神様のもとに近づいてゆく大切な道のり。

神社は「お宮」と言い換えることがありますね。これは一説によれば、神様のいらっしゃる社殿は、私たちがこの世に生まれる前に命を宿し育む、母の子宮にあたる場所だと言われているからです。

 

つまり、鳥居を母の両足だと例えたとき、その間をくぐって社殿(胎内)に向かうため通る道――参道には、「産道」という意味が込められているわけです。
もともと、命は神様からの授かりもの。神社参拝で御神前に立つということは、私たちの魂が故郷に里帰りをして、懐かしい人に会いに行っているようなものなのかもしれません。

参道を歩き神様に近づくにしたがって、自分の魂や心を生まれたときのようにまっさらで透明な状態に戻してゆくことが、とても大切なのではないでしょうか。

 

神社で見かける「鏡」の意味

 

 

社殿の前に立つと、お社の中や御扉の前に、丸い形をした鏡を見たことはありませんか?
あの鏡は御神鏡(ごしんきょう)と言って、御神霊の宿るひとつの依り代であり、御神体としても大切にお祀りされているものです。

鏡という言葉の語源は「影見(かげみ)」であるとも言われていますが、古事記や日本書紀でも、神様が「この鏡を私の御魂として大切に奉り、これを見ることは私を見ることであると思いなさい」と話されたことを伝えています。

 

 

鏡を拝むと、そこに映った自分の姿が見えますね。
「かがみ」という言葉から「が=我」を取ると、残るのは「かみ=神」になります。

 

つまり「鏡」は、自分自身の心の中にも「神様」は宿っているのだと、教えてくれているような言葉でもあるわけです。
御神前では自分の「我」を取り去ることで、心の内に存在している神様を映し出す時間が持てるのではないでしょうか。

 

神様の前では、何も取り繕ったり隠したりすることができません。
だからこそ、ありのままの自分の心を磨くことが重要で、神社参拝を通じて自身を顧みる時間が、このような時代だからこそ大切になってくるのかもしれません。

 

神社で神様に「祈る」意味

 

 

祈りとは、「神様にお願いすること」だけに限りません。
自分自身の心の鏡とも言える神様との、大切な「対話」のようなものだと考えてみてください。

辛いときや哀しいときは、その素直な想いを伝えてみましょう。
嬉しいときや幸せなときは、そのことに感謝を伝えてみましょう。
迷い悩んでいるときは、よいお導きがいただけるようにお願いしてみましょう。
勇気が欲しいときは、その背中を押してもらえるようにお願いしてみましょう。

心を磨くということは、自分の奥深くに眠る本当の想いに、素直に目を向けることでもあります。
神社参拝は、日常の中でそれを自然に手助けしてくれる、得難い機会でもあることでしょう。
いつも何かに追われるように、溢れる情報の波に溺れながら暮らしている私たちが、気づかぬうちに縛られているものから心を解放する時間にもなるはずですよ。

※関連記事

 

参拝を通じて心を整える

 

 

参道の話の中で、神社は魂が胎内回帰を経験する場所であることをお話ししました。
それを思い返すと、神様に参拝をすることは、また「新たな自分に生まれ変わる」ということでもあるのではないでしょうか。

 

さまざまな情報や身の回りの出来事で、心を疲れさせていませんか?
弱ってしまった心は、ちょっとしたことでも大きく揺らぎやすいものです。
自分の心が何か余計なものを背負いすぎてしまっているなと感じたら、そっとその荷物を下ろしに、神社参拝に足を向けてみてください。

 

神様の前に立って自分の心を映し出したとき、また素直な気持ちを取り戻すことができるかもしれません。
そして、何度でも立ち上がり前を向く心の強さと人を思いやる優しさを、透明な心で神様から授かりたいものですね。

 

平日はフリーライター、休日に巫女としてご奉仕。
神社・神道・生き方・心理学・自己分析・心について記事を執筆。
すべての人が前向きに、自分らしく生きるために大切なことを伝えている。
巫女ライターとしては、「書くこと」を通じて神様へのご奉仕を形にすべく、神道・神社・神様の心の本質を伝えることを使命とする。

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