平安時代初期に真言宗の宗祖である弘法大師空海によって開かれた真言密教の聖地・高野山。2016年には世界遺産にも登録されて、世界的にも有数のパワースポットになりました。

今回は神社お寺.net編集部が、高野山のお寺をご実家にもつ占い師の阪香季(ばんこうき)先生から、高野山についてのお話をあれこれ聞いてきました!

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目次

  • 阪先生のご生家・持明院(じみょういん)
  • 歴史を紐解いて~高野山のお寺事情~
  • 空海とお遍路さん
  • 高野山で宿坊体験&四国遍路をしよう!

阪先生のご生家・持明院(じみょういん)

 

現代より医療が発展していなかった時代は、若くして命を落とすひとや、赤ちゃんの死亡率が高かったそう。
多くの人々に永く健康的に過ごせるようにと願いを込めて信仰されてきたのが延命地蔵尊なのだそうです。ありがたいお地蔵様ですね。

 

 

また、持明院は伊達家・武田家・京極家といった、歴史にも名を残す武家の大壇主※をつとめていて、各家祖先の霊牌が安置されているのだそう。
宮城と大阪に別院があって、宮城の別院は伊達政宗の菩提所でもあります。

※壇主…檀越(だんおつ)・施主。法事・供養をする当主、寺や僧に衣食などを布施する人のことをさす。

 

元々、先生のお父さまは、奈良の生蓮寺(しょうれんじ)のご住職をつとめていたのだそう。様々なご縁あって高野山の寺院の方にお願いされて、引き受けることにしたそうです。

 

今でも高野山内には、海軍航空隊適性部隊跡地や、戦死した兵を供養する為の海軍航空隊供養塔が残されています。

歴史を紐解いて~高野山のお寺事情~

 

「新義」と「古義」の歴史を紐解く

「新義」のはじまりは平安時代。

権力に目が眩んでしまった僧侶たちによって真言宗衰退の危機に陥った際、高野山金剛峯寺の僧侶だった覚鑁(かくばん)が、真言宗を建て直す為に立ち上がりました。

しかし、現状維持を望む保守派の僧侶たちと対立することとなり、当時覚鑁が住んでいたという密厳院・苅萱堂(みつごんいん・かるやどう)※が保守派によって焼き払われてしまいます。

※現在高野山にある密厳院・苅萱堂は再建されたもの。


やむを得ず覚鑁は高野山を去り、教学復興の拠点として、現在の和歌山県岩出市に根來寺(ねごろじ)というお寺を開きました。

しかしその後も保守派との確執はなかなか収拾せず、覚鑁派は覚鑁の教義を発展させ、それまでの教義と違う「新義真言宗」を確立させたのだそうです。

空海とお遍路さん

真言宗の開祖である空海は讃岐の屏風ヶ浦、現代の香川県善通寺市で生まれました。

四国中をめぐって修行をしたのち、中国へと渡り密教について学び、帰国後弘仁7年(816)に、高野山に修禅の道場を開いたといわれています。

 

 

四国遍路というのは、空海が修行したとされる八十八ヶ所霊場を巡礼することです。第一番の笠和山一乗院霊山寺から始まり、八十八番の医王山遍照光院大窪寺を目指し、88ヶ所の霊場を巡ります。

当初は、修行僧などを中心に行われていましたが、空海に対する人々の信仰の高まりと共に、日本全国から多くの方が遍路に訪れるようになったとされています。

 

四国遍路の成立には諸説あるそうで、一説によると、空海が四国で修業している際に、空海を無碍にした人に不幸があり、それらを目の当たりにした人々が「あの僧侶に謝らないと!」と、空海の後を追いかけるように、空海の歩んだ道をたどったことがお遍路の始まり…という話もあるのだとか。

巡礼が終わったら、高野山の奥の院に行って、結願のご報告をします。お遍路をはじめる前の挨拶の為に訪れる方もいるそうです。

高野山で宿坊体験&四国遍路をしよう!

高野山にあるお寺の半分は宿坊になっていて、「持明院」さんも宿坊として泊まれるお寺です。

宿坊とは元々、僧や参拝者が修行する為の施設でしたが、現在では観光客向けに宿泊施設としての設備やサービスが整えられた宿坊が増えて、誰でも修行体験ができる施設となっています。

 

お砂踏みとは四国八十八ヶ所霊場からそれぞれ集めてきたお砂を礼所の代わりとし、お砂を踏みながらお参りすることで、実際にお遍路巡りをした時と同様のご利益が得られるといわれているのです。現在でも日本各地の寺院でお砂踏みが行われています。

また、持明院では戦国武将・織田信長の妹で、浅井長政の妻・お市の方の肖像画を見ることができますよ。
※本物のお市の方の肖像画と浅野長政、浅井久政の肖像画は重要文化財になので、現在は高野山・霊宝館にて大切に収蔵されています。

 

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