平安時代初期に真言宗の宗祖である弘法大師空海によって開かれた真言密教の聖地・高野山。2016年には世界遺産にも登録されて、世界的にも有数のパワースポットになりました。

今回は神社お寺.net編集部が、高野山のお寺をご実家にもつ占い師の阪香季(ばんこうき)先生から、高野山についてのお話をあれこれ聞いてきました!

阪 香季(ばん こうき)先生
中国占術研究家 和歌山県の高野山に生まれる。
仏教に縁を持ち、幼いころより人間の運命に関心を抱く。日本で易道学校を卒業後、単身中国に渡り、中国占術界の大家である張耀文氏のもとで修行。

40年以上にわたって、個人から企業まであらゆる相談を受けている超ベテラン占い師の先生です!

阪先生の占いを体験するなら【占いプラス】

阪先生のご生家・持明院(じみょういん)

編集部

今日はいろいろお話を聞かせてください!
早速ですが、阪先生は高野山のお生まれなんですよね?
ご実家はどんなお寺なのでしょうか?

阪先生

こんにちは。よろしくお願いします。

私の実家は持明院というお寺です。父が住職をしていたの。
1300年代の室町時代・南北朝時代からあったんです。

編集部

1300年!ものすごく歴史のあるお寺なんですね!

阪先生
ええ、そうなんですよ。ご本尊は、延命地蔵尊(えんめいじぞうそん)といってね、その名前の通り、延命長寿のご利益があるんですよ。
高野山にあるお寺はお地蔵様をご本尊としているところが多くて、本堂には観世音菩薩様・地蔵様などが安置されているの。

 

現代より医療が発展していなかった時代は、若くして命を落とすひとや、赤ちゃんの死亡率が高かったそう。
多くの人々に永く健康的に過ごせるようにと願いを込めて信仰されてきたのが延命地蔵尊なのだそうです。ありがたいお地蔵様ですね。

また、持明院は伊達家・武田家・京極家といった、歴史にも名を残す武家の大壇主をつとめていて、各家祖先の霊牌が安置されているのだそう。
宮城と大阪に別院があって、宮城の別院は伊達政宗の菩提所でもあります。

※壇主…檀越(だんおつ)・施主。法事・供養をする当主、寺や僧に衣食などを布施する人のことをさす。

阪先生

父と兄は金剛峰寺の大僧正をつとめていました。
初代の空海から数えて、400世以降になるのね。

編集部

400世も続いているんですね……!
改めて高野山の歴史の深さを感じます!

元々、先生のお父さまは、奈良の生蓮寺(しょうれんじ)のご住職をつとめていたのだそう。様々なご縁あって高野山の寺院の方にお願いされて、引き受けることにしたそうです。

編集部

先生はどんな子供の頃どんな風に過ごしていたのですか?
子供の頃の思い出を聞かせてください!

阪先生

そうねぇ…。高野山といえば奥の院が有名でしょう?

私が子供の頃はあそこで、他の寺の子どもたちと肝試しをしたことがあったわね。
昔のお墓は、今と違って土葬だったから夜はかなり怖かったことを覚えています。

編集部

かなり雰囲気ありそうですね…!

阪先生

それから、戦時中には海軍飛行予科練習生が訓練の為に高野山に駐留していたなんでこともあったわね。

今でも高野山内には、海軍航空隊適性部隊跡地や、戦死した兵を供養する為の海軍航空隊供養塔が残されています。

 

歴史を紐解いて~高野山のお寺事情~

阪先生

ちょっと専門的な話になるんですが…

高野山は真言宗の寺院だけど、真言宗には古義(こぎ)新義(しんぎ)というものがあって。

それぞれ教えや内容が違うんです。

 

編集部

宗派ごとの教え、いわゆる「教義(きょうぎ)」のことですね。
どのような違いがあるのでしょうか?

阪先生

古義は昔ながらのもので、新義は新しくできたものなの。
「別院」など高野山で修業してのれん分けのような形で開いたお寺は新義が多いんですよ。

 

~「新義」と「古義」の歴史を紐解く~

「新義」のはじまりは平安時代。

権力に目が眩んでしまった僧侶たちによって真言宗衰退の危機に陥った際、高野山金剛峯寺の僧侶だった覚鑁(かくばん)が、真言宗を建て直す為に立ち上がりました。

しかし、現状維持を望む保守派の僧侶たちと対立することとなり、当時覚鑁が住んでいたという密厳院・苅萱堂(みつごんいん・かるやどう)が保守派によって焼き払われてしまいます。

※現在高野山にある密厳院・苅萱堂は再建されたもの。


やむを得ず覚鑁は高野山を去り、教学復興の拠点として、現在の和歌山県岩出市に根來寺(ねごろじ)というお寺を開きました。

しかしその後も保守派との確執はなかなか収拾せず、覚鑁派は覚鑁の教義を発展させ、それまでの教義と違う「新義真言宗」を確立させたのだそうです。

阪先生

歴史も長くなると派閥がたくさんあって、昔にはこういった揉め事も多かったのね。

編集部

なかなか一筋縄ではいかないものなのですね…

阪先生

それから、東京にはこの高野山の別院の高輪結び大師というお寺があるんだけど、このお寺も新義真言宗のお寺なの。
高野山の僧侶が交代でお勤めしているのよ。とてもいいお寺なので是非お参りしてみてね。

 

空海とお遍路さん

真言宗の開祖である空海は讃岐の屏風ヶ浦、現代の香川県善通寺市で生まれました。

四国中をめぐって修行をしたのち、中国へと渡り密教について学び、帰国後弘仁7年(816)に、高野山に修禅の道場を開いたといわれています。

四国遍路というのは、空海が修行したとされる八十八ヶ所霊場を巡礼することです。第一番の笠和山一乗院霊山寺から始まり、八十八番の医王山遍照光院大窪寺を目指し、88ヶ所の霊場を巡ります。

当初は、修行僧などを中心に行われていましたが、空海に対する人々の信仰の高まりと共に、日本全国から多くの方が遍路に訪れるようになったとされています。

編集部

海外の観光客の方にも人気ですよね、お遍路さん。
先生も体験なさったんですか?

阪先生

えぇ。途中に休憩を何度か挟んで、2年越しで達成しましたよ。
お寺ごとお参りのお作法が異なるから、各霊場の認可を受けている「先達(せんだつ)」さんという案内人の方についてもらってね。

ところで、お遍路さんがみんな白装束を着ているのは何故だか知ってます?

編集部

いいえ。お遍路さんといえばあの格好ですよね。何故なんですか?

阪先生

それはね、いつ死んでもいいようにという覚悟からきているの。
昔のお遍路は本当に過酷な旅路で、本当に途中で亡くなってしまう方もいたのね。

今では交通路もちゃんと整備されてて、便利な移動手段も増えたけれどね。

編集部

なるほど…命懸けの覚悟が込められていたのですね。

阪先生

近年ではタクシーやバスを利用してまわることもできるようになったわね。
だいぶ便利になりましたよね。

 

四国遍路の成立には諸説あるそうで、一説によると、空海が四国で修業している際に、空海を無碍にした人に不幸があり、それらを目の当たりにした人々が「あの僧侶に謝らないと!」と、空海の後を追いかけるように、空海の歩んだ道をたどったことがお遍路の始まり…という話もあるのだとか。

巡礼が終わったら、高野山の奥の院に行って、結願のご報告をします。お遍路をはじめる前の挨拶の為に訪れる方もいるそうです。

高野山で宿坊体験&四国遍路をしよう!

高野山にあるお寺の半分は宿坊になっていて、「持明院」さんも宿坊として泊まれるお寺です。

宿坊とは元々、僧や参拝者が修行する為の施設でしたが、現在では観光客向けに宿泊施設としての設備やサービスが整えられた宿坊が増えて、誰でも修行体験ができる施設となっています。

阪先生

夏季合宿とか小学生の林間学校でも使われることも多くて、外国人観光客もよく来るの。
フランス人の旅行者が多いんですよ。

編集部

フランス人に人気なんですね~!どういった体験ができるのですか?

阪先生

精進料理、写経、朝のお勤めがありますね。
それから持明院では、「八十八ヶ所お砂踏み場」と呼ばれるスポットがあって、
お寺にきたら誰でも四国遍路が体験できるのよ。

 

お砂踏みとは四国八十八ヶ所霊場からそれぞれ集めてきたお砂を礼所の代わりとし、お砂を踏みながらお参りすることで、実際にお遍路巡りをした時と同様のご利益が得られるといわれているのです。現在でも日本各地の寺院でお砂踏みが行われています。

編集部

なるほど!四国遍路ができない方でも、持明院やお砂踏み場のあるお寺に行けば四国遍路が体験できるんですね。

阪先生

そうなの。持明院のお砂踏み場は、私の父と兄が、四国遍路ができない方にも四国遍路を身近に感じていただきたい…という思いから始めたものなんです。

お砂踏み成満の証を頂くこともできるから、持明院に訪れた際は是非、八十八ヶ所お砂踏みを体験して、お遍路の魅力に触れてみてくださいね。

また、持明院では戦国武将・織田信長の妹で、浅井長政の妻・お市の方の肖像画を見ることができますよ。
※本物のお市の方の肖像画と浅野長政、浅井久政の肖像画は重要文化財になので、現在は高野山・霊宝館にて大切に収蔵されています。

 

高野山について、いろいろと興味深いお話をいろいろ聞くことができました。今後も高野山のさらなる魅力をお伝えできればと思います!

持明院の宿坊体験のご予約はこちらからできますので、ご興味のある方は是非ともお参りしにいってみてはいかがでしょう?

【関連記事】

 

【関連リンク】

 

全国の神社・お寺のご利益、効能、おすすめ情報などを見つけてお届けします!

あなたへのおすすめ